tommy's garden

アラフォーの初マタライフの記録。今秋に出産予定。

マタニティマーク考

※ 陽性判定後の記事になります。

 

ずっと憧れていた、マタニティマーク。

 

それなのに、じっさいに手にしたとき、自分でも驚くほど感情が動きませんでした。人は、手の届かないものほど欲しくなる。私にとって、その最たるものが、このマークだったのかもしれません。

 

駅のホームで、電車のなかで、バスのなかで。会社のロッカーで、デパートで、スーパーで。今までに私は、いったいいくつのマタニティマークとすれ違ってきたのでしょうか。それでも30代前半までは、もやもやした感情を抱くことなく、ごく自然に席を譲っていた記憶があります。

 

それが30代中盤になり、出産のリミットを意識しだしたころから状況は変わりました。マタニティマークを付けている女性が、幸せ自慢をしているように見え始めたんです。

 

「私は結婚もできたし、もうすぐ子どもも生まれるの。幸せの絶頂にいるんだ~♪」

 

そんな声を、私は勝手に聞き取って、卑屈になっていました。その女性が悪阻で苦しんでいるかもしれないことになど、当然ながら想像が及びません。その人が、何か複雑な事情を抱えているかもしれないことにも、必ずしも幸せだとは限らないことにも。

 

マタニティマークで真っ先に思い出すのは、数年前に、通勤電車で見たひとりの女性の姿です。彼女のバッグに付いていたのは、大人の頭よりひと回り大きいサイズの巨大なマタニティマークでした。実用的といえば、これ以上になく実用的ですが、市販されているとも思えません。自作品だったのでしょうか。

 

その沿線には救急搬送を受け入れる規模の病院があったので、もしかするとハイリスク妊婦さんで、そこへの通院途中だったのかもしれません。ちなみに、彼女は外国の方でした。今から思えば、もしものときに言葉の通じない不安から、そんな行動に出ていたのかもしれません。

 

この件は例外的ですが、誰かが普通サイズのものを普通に付けているのを見るたびに、私は必ず目を反らすようになりました。バスに乗り、前の席の人のリュックにマークがぶら下がっていたときには、終点までずっと窓の外を見ていました。

 

そんな感じで数年が過ぎ、私は結婚をして、やがて妊活に励むようになりました。けれどもなかなか授かりません。年齢を考慮して、早めにステップアップしたものの、高度生殖医療をもってしても結果が出ない日々。

 

お腹の目立ち始めた妊婦さんや、隣家の子どもの声に過剰に反応してしまう自分を、どうすることもできませんでした。採卵しても卵子を得られなかった日、帰りの電車のなかで向かいの席の人がマタニティマークを付けていて、涙を必死にこらえたこともありました。あのときの、ただただ辛く、胸が締め付けられる思い。でも、私はそれらの苦しかった日々と気持ちを、忘却の彼方に追いやってしまいたくありません。

 

悪阻のような症状はあるけれど、心拍確認前という微妙な今だからこそ、「ベビ待ち」と「妊婦」という両方の立場で考えられる部分があります。だから、この機を逃さず、今の率直な気持ちを残しておきたい。そんな思いから、今回の記事を書きました。

 

さて、これから私は、そんなマタニティマークとどう付き合っていけばいいのか。いろいろと考えて、今はこんな結論に落ち着きました。今後、外出時には携帯する。でも、人目に触れるように表に出すのは、体調が悪化しそうなときに限定する。それが、不妊治療を経験した自分がとることのできる、最善の態度のように思えるからです。

 

お読みくださり、ありがとうございます。

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